目が覚めたら手術台の上でした。ライトがまぶしいです。
白い服を着た人間達が周りに数人居ます。
近くで、液体の詰まったビンに入った紅い目玉が浮いています。
それはひどく禍々しくて、おそろしかったです。
ぼくの体は台にロープでしばりつけられていました。動けない、です。
白服の手がぼくの方に伸びて来ました。
それはまっすぐ、ぼくの目に。
怖かった。おそろしかった。
でも、動けない。
白服の指が目の中に入って来る!
やだ!暴れたいけど動けない!
ぼくを縛り付けるロープが体に喰い込むだけ。
やだ!
やめて…やめてよ!
痛い!
痛いよ!お願い!
やめてってば!はなして!
たすけて!
やだ、やだ、やだ、やだ!
ゆび、動かさないで!痛いよ!おねがいだから!
うっすら聞こえたぼくの悲鳴はもう、声じゃなかった。
声にすらならないくらいに、こわれてた。
そして、紅い目玉がビンから出されて、ぼくは真っ暗になったんです。
「(ここはどこ…?)」
「(まっくら…。)」
ぼくはどこに居るんだろう。
あたりは暗くて、紅い。そしてそれが、どこまでも続いてる。
さっきまで手術台の上に居たハズなのに。
でも、ここだって台の上と同じくらい嫌です。とっても怖い。
「そうだ、右目!」
手を当てると、目玉がなかったです。
ぽっかりと穴があいていました。
「(どうしよう。こんなんじゃきっと、またつな君に会えても、きっとわかってもらえない…。)」
ぼくは悲しくなりました。
でも。
「(でも、昔おかあさん言ってたです。生きてたら神様が助けてくれるって。そう、ですよね。生きてたら、またきっと会えます。ぼくがつな君よりも先に気がつけばいいんだ。)」
そう思ったら、すこし元気が出ました。
あいかわらず真っ暗、だけど……あれ?
よく目を凝らすと、遠くから黒いのがやってきます。
大きくて、黒くて、たまに赤くて、ぐちゃぐちゃしてて気持ちわるいのが、ぼくを目指してやってくる!
ぼくは怖くなりました。
全速力で走って逃げました。でも、黒いぐちゃぐちゃは追いかけて来ます。
すごく…やだ。怖い!
ぼくはいっしょうけんめい走るけど…いやだ!追いつかれちゃう!
黒いぐちゃぐちゃは触手みたいなのを伸ばして、ぼくを捕まえようとします。がんばって避けるんだけど…
「(うわぁっ!)」
あしが…もつれちゃった!転んだ所を黒いぐちゃぐちゃが襲ってくる!
上にのしかかられて、首にまきついて…思わず目をとじた!
ふしぎ、です。苦しくない。
ゆっくりと目を開けるとなま暖かかったです。
ぐちゃぐちゃが重たく体に絡み付いてるけど、起きられます。
「(なんなの…?)」
きょろきょろすると、おとうさんとおかあさんが見えました。
「あ…!」
うれしくて、うれしくてうれしくって、駆け寄ろうとするけれど、きゅうに、おとうさんとおかあさんの顔に墨をぬったくられたようになってしまって、解らなくなりました。
「あれ…うそ……!!?」
それからは、いくら思い出そうとしてもおとうさんとおかあさんの顔が思い出せないんです。着てた服や、動作やそのものの言葉はまだ思い出せます。でも、声や名前、あと首から上が全然わかんなくなっちゃった、です。
その次は、売られる前に、ぼくのことをかわいがってくれていた、村ののおじいちゃんでした。
おじいちゃんの顔も、やっぱり墨をぬったくられたようになって、わからなくなりました。
その次は遊んでくれた近所のおにいちゃん。大嫌いだったいじめっこ、いつも頭をなでてくれたおばちゃん。みんなみんな、わからなくなっていきます。
ぼくはどうしようもなくて、自分の記憶の中の人達が消えていくのをぽかんと見ていました。
どんどん、みんな解らなくなってきます。
記憶がこの施設に入ってからの事になると、もうどうでもよかった、です。
でも。
目の前に現れたふわふわ頭の男の子。
たぶん、ぼくがもっている最後の記憶。
絶対にわすれたらいけないお友達。
「ダメ!」
ぼくは、ぼくをがんじがらめにするぐちゃぐちゃに抵抗しました。
暴れて、振りほどこうとしたんです。
でも、うまくいかない。
「その子はダメ!約束したの!」
あばれたら、ぐちゃぐちゃはさらにぼくの事をしめつけてきます。
とっても苦しいけど、ひとりぼっちでいることに比べたらこんなの!
すこしずつ、つな君がわからなくなってきます。
「ダメ!ダメです!忘れたら、ぼくがつな君を忘れちゃったら、もう会えなくなっちゃう!」
すこしずつ、記憶が黒塗りになっていくんです。
「だめ!他の人はいくら持っていってもいいけど、その子はダメ!生きてるんだ、死んでないから、また会えるんです!お願い!お願いだからやめて!持って行かないで!他は、他なら何でもあげるからっーーー!!」
抵抗はムダでした。ぼくのお友達だった子も、わからなくなってしまいました。
ぐちゃぐちゃはゆっくりと、さらにキツく、強く、ぼくをしめあげていきます。
でももう、苦しいけどもう、こんなの、どうでもいいんです。
だって、だれも居なくなってしまいました。
いままでみたいに、おとうさんやおかあさんの思い出にひたりながら、部屋の隅っこに丸くなっている事ももう、できないです。
誰だかわからない誰かにかわいがられた事も、誉められた事も、うれしかった事も、楽しかった事も。言葉があっても事実が思い出せないんです。
もう、だれもいない。わかんない。
おともだちも、もう、わからない。
約束してたのに、その内容も、もうおもいだせない。
せっかく、この世にひとりぼっちじゃなくなったのに。
やっと、生きてる人がぼくの事、見てくれたのに!約束してくれたのに!
思い出そうとすれば、思い出そうとするほど記憶はぼやけていきます。あいた穴は、闇は深くなるばかり。
声だけでもわかれば探しようもあるのに!
中途半端に持っていくくらいならば、全部もっていってくれれば寂しくなかった。
顔も声も解らない誰かが、ぼくの事を大切にしてくれていた記憶じゃ、すがりつくこともできない!
足りないよ。悲しいんだ。どうしよう!
どうしてぼくがこんな目にあわなくちゃいけないの?
ぼく、ちゃんといい子にしてたのに!
どうしてぼくだけがこんなに痛くて、悲しくて、苦しい目にあわなくちゃいけないのさ!
胸が痛い、です。とても痛い。
昔見た炎よりももっと熱くて、痛くて、苦しい!
記憶の闇の向こうに手を伸ばすと、そこには膨大な"記録"がありました。
色んな時代の、色んな記録。
たぶんこのぐちゃぐちゃの中に貯まった記録。
それならたぶん、この中にぼくの欠けてしまった記憶もあるかなと思って、その一部に手をかけてみたら。
そうしたらいっぱい、ぼくの中になだれこんできたんです。
その中には、
戦争で、武功を立てる事に夢中になって、たくさんの兵を死なせた人間が居ました。
神に使える身で、身分を利用して贅の限りを尽くした人間が居ました。
愛した人を喪って、狂い死んだ人間が居ました。
家族を殺され、復讐に狂った人間が居ました。
名誉と権力のために親友を死に至らしめた人間が居ました。
夢にすがり、幻想を追いかけて野垂れ死んだ人間が居ました。
狂気に取り憑かれ、殺戮を喜びとした人間が居ました
恋人に裏切られて、嫉妬に狂った人間が居ました。
友との約束の為、犠牲になった人間が居ました。
信ずるものに裏切られ、悲しみのあまり己の生命を絶った人間が居ました。
たくさんの人間の、たくさんの生き様がここにはありました。
でも。
ぼくが欲しかった記憶のカケラはここに、ありませんでした。
だけど、少しだけわかったことがあるんです。
人間って、バカです。
同じ失敗、何回しても突っ込んでいきます。ダメダメです。
ぼくだったらあんなバカな事しないのに。
記録の中にいっぱい渦巻いていた感情。
怒り、悲しみ、憎しみ、嫉妬、憎悪とか妬みとか嫉みとか。
毎回同じ理由でくり返すんです。
ホント、馬鹿げてます。
でも、ぼくの胸を焼く炎の正体はわかりました。
これは、あの記憶の中から答えをはじき出すならば、名前を付けるのなら間違いなくそういったものの仲間な訳で。
あーあ、ぼくも馬鹿な彼らの仲間みたいです。
ぼく、馬鹿な彼らがどうしてあんな馬鹿な事したのか少しだけわかります。
苦しいんですよ。とっても、とっても苦しいんです。胸にともるこの炎の苦しみは半端じゃないんです。
どうにかしてはけ口を探さなきゃ、ぼくそのものが燃えてしまう。
だからぼくはね、その炎の対処として、ぜんぶまきこむことにしたんです。
ぼくは、今はまだ大丈夫。まだこの炎に抵抗できますし、まだ、はけられる。
でも、そのうち炎はもっとおおきくなる。いつかはわからないけれども、ぼくは耐えられなくなってしまう。
ぼくがいつか燃え尽きてしまうならば。
ぼくを殺そうと燃え上がる炎で、ぼくの嫌いなものを全部焼いてしまえばいいと思ったんです。
真っ黒くて気持ち悪い炎。舐め上げるみたいな炎。
ぼくと一緒に、みんな、ぜんぶ、燃やしてしまえ!
ぼくは、ぼくにヒドい事したこの世界ぜんぶが嫌い。
ぼくの大切なもの、みんなみんな殺して、燃やした世界が憎いんです。
ぼくに痛いことした白服も死んじゃえばいいや。
そうだ。そのとおり!
ぼく、みんな嫌い!
ぼくの事おいて死んだおとうさんが嫌い!
ぼくをひとりぼっちにしたおかあさんも嫌い!
ぼくのこと、助けてもくれないくせに中途半端に手を出してかわいがったみんなも嫌い!
ぼくの事を置き去りにして遠くの国に行ったお友達も嫌い、嫌い!死んじゃえ!
ぼくの色んな事を解らなくしたこのぐちゃぐちゃも嫌い。でも、コレはひょっとしたらすごく使えるかもしれない。
解るんです。
いろんな事が。知識がこの中には渦巻いてる。
その中には、戦う方法だってあります。
人を殺すって事が案外簡単な事だって事もわかりました。
ぼくにからみついたぐちゃぐちゃは、少しずつぼくのことを取り込んでしまおうと浸食して来ます。
でも、ぼくが消えちゃう前に、ぼくがこの世界に復讐しちゃえばいいだけのことですよね。
ぼくの胸に灯った真っ黒い憎しみの炎で、世界を丸焼けにしちゃう方が先なんです!
僕が目を開けると、手術台の上でした。
白服が「大成功だ!」と叫ぶのが聞こえます。
ロープがゆるめられた瞬間に、ぼくは抜け出して、狂喜する白服達を、いつのまにか握っていた黒い三叉の短剣で皆殺しにしました。
ガラスの戸棚に映ったぼくの右目は血のように真っ赤でした。
― これじゃぁもう気付いてもらえない ―
ココロの奥深くからこんな声がして、蒼い左目から一筋涙がこぼれました。
なんだか気味が悪かったです。
だって、なんでこんな事思ったのかわからない。
涙を拭って顔をあげると、顔にキズのある子と、メガネの子がこちらをのぞき込んでいました。
「いっしょに来ますか?」
遊び半分でかけた言葉にうなずいた彼らとともに、右目に関する資料を奪って、僕らは研究施設から抜け出しました。
そうして、施設に火を放ったんです。
夜空を焦がして燃え上がる炎は、僕の、"六道骸"の旗揚げにふさわしい、真っ赤な炎でした。