斯くして静かに時は流れる。


北極星を中心に、ゆっくりと星の位置が動いてゆく。
ミントが香るようにツンとした夜気が肌を撫でて、そんな中ガサガサという音が聞こえてツナは目覚めた。
ここはコンクリートのホーム脇にあった小屋の中だ。ガサガサという音は、おそらく骸、犬、千種のいずれかが火の番を交代した音なのだろうことが想像でき る。

耳をそばだてると木の葉が擦れる音の他に、パチパチと焚き火のはぜる音も聞こえてきた。


「(誰かはわからないけど…一人で起きてるのかな…)」


ツナはぼーっと頭の表面で考える。
黒い山林で一人、起きて火の番をする。
おそらく、脱走常習犯の三人には慣れたことなのだろうが。


「(怖いよな…)」


ツナと髑髏は火の番をしなくていいことになっている。
二人は抗議したが、千種に言わせれば「中途半端に夜中起きていて、明日慣れない山道でへばられる方がよっぽど困る」という的を射た反論に、一発で負けを認める こととなったのだったのだった。

「(そうだそうだ、今のことより明日のこと!寝なきゃ!)」

しかれども、木の葉の擦れる音がやたらと耳につく。
獣は居るのだろうかと、考え始め、挙げ句の果てにはこの小屋に、自分のそばに気持ち悪い山の虫などがいたら、などと考え始めてしまってはもう眠れない。
眠ることを諦めたツナは、他の人間を起こさないように細心の注意を払って小屋を出た。

木々の匂いが一段と濃くなる。
肌にひやりと風を感じる。

すると少し先で、焚き火のそばで目をこすっている人物と目が合う。



「…起きてたのって、骸だったんだ。」
「今さっき交代したんです。綱吉君は寝ていてかまいませんよ、明日のためにもね。明日はこの山を降りねばなりません。」
「知ってる、なんか眠れなくてさ。暇だろ?少し相手してよ。」

そう言ってツナは、焚き火を挟んで骸と向かい合う位置に勝手に腰をおろした。

「話したら余計眠れなくなるのでは?」
「かもね。でも、小屋の中で妙なこと考えてもだもだしてるよりもよっぽどマシ。」

そう言ってツナはニッと笑った。
骸はそんなツナに「馬鹿が馬鹿な顔をするもんじゃないですよ」と返す。
「馬鹿が秀才の顔だけを真似るより、よっぽどいいでしょ。」
「確かに。」



ツナはここで一呼吸おいて、骸から目を離した。
目線がよそに移る。

黒々とした森は、墨汁を垂らした水槽に似ていた。
抵抗するすべを与えす、静かに視界を塗り潰す闇。
一寸先に何があるのか、潜むのか、理解をさせない。
木々のざわめく音は幾重にも重なり、町の生活に慣れたツナの聴覚も麻痺していく。

されど、コンクリートのホームのあるこの場所と線路の上には、木がない。
差し込む星明りのせいで、ここだけ視界が澄み、コンクリートと線路という人工物のおかげである程度"人間"が存在できる雰囲気を構築していた。

その中で獣を払うために人の手で点けられた焚き火。
小さくとも煌々と光を放ち小さく爆ぜながら、陽炎のように燃えている。
山火事だけは起こさぬように、少し離れた場所に比較的乾燥した枝が積み上げられて
いた。

焚き火の炎に目を移し、ふうと小さくため息を付いたツナは静かに話し始める。


「…あのさ。」
「はい?」
「俺って将来、マフィアになると思う?」
「唐突ですね。」
「…でしょ。面白くないね、ごめん。」

ツナは、その身を体育座りの形にして背中を丸める。

「何かありましたか?」
「…何も。…………あのね。」
「はい。」
「少しづつね。」
「…」
「変わってきてるの。」
「変わる?」
「うん。始まりはね、いつもひとりぼっちでダメダメな俺に、ある日いきなり家庭教師がやってきたんだ。それから、気になる女の子に声をかけたり、一緒にいて楽しい 友だちができたりもした。成績も前より良くなったし、居候が増えて家が騒がしくなって母さんもうれしそう。数年ぶりに父さんに会えたのは…それはまだわか らないけれど、だいたい嬉しい事ばっかりだ。」
「…。」

「だから、最初は怖かった。俺はこんなに幸せでいいのかなって。リボーンの拳銃とか、獄寺くんの言う"十代目"ってやつ、最初はすごく不吉だって、すごく 怖いって思ってた。でも…この時点の俺はまだ、死ぬ気で走りまわるくらいしか出来ないだけだったし、リボーンの外見とか、一般人丸出しの山本が獄寺くんを 軽くあしらってるのを見てたら、何となく大丈夫だと思ったんだ。この幸せな日常はずっと続くんだって、全く疑わないでそう思いこんでいた。」
「…そう、ですか。しかし、僕は現れました。明確に"マフィアボンゴレのボス沢田綱吉を"狙ってね。」

「そうだね、でも俺を狙った殺し屋はお前以前にもいたよ。…あぁ、でもね…本気で人を殴りたいと思ったのはお前が初めてかも。でもあの時は気づかなかった。気 づき始めたのはヴァリアーと戦った時。そして白蘭と戦って確信したんだ。」
「何に?」
「俺さ、戦うのは…今までにいっぱい手に入れた幸せの対価みたいなもんだと思ってた。みんなと居るためには仕方のないことだと思ってたんだ。」
「…?」
「最近はね、一回死ぬ気になるたびに少しづつ幸せな日常から遠ざかると思ってる。みんな少しづつ、あっちこっちに散らばっている不穏な響きの単語や音、雰囲気に違和 感を感じなくなってる。気づかないうちにちょっとずつ戻れない場所に向かってる。今はまだ大丈夫かもしれないけど…きっともうすぐ取り返しの付かないことになるようなきがするんだ、どうしたらいいんだろう…俺はそれがすごく…すごく怖いんだ…!」



ツナが目を固く閉じた。
骸は目線を落とし、少し考えるように右手を顎のあたりに持ってくる。

焚き火の爆ぜる音がやたらと大きく山に響く。



「それは…日常から遠ざかる事が?それとも、戻れないことが?」
「りょう、ほう…。」
「後者は、生きている以上仕方ないと思うんです。僕ももう…以前とは変わってしまった。憎しみに火をつけて、それだけを糧にしていた頃には戻れません。今 更戻りたいとも思わないけれど、生きていれば人は変わるから…それは時間の流れなんだと思っています。」
「…。」
「前者は…」
「どう、おもうの?」
「僕は、君の言う日常を理解できていないからよくわからないです。」
「…そっか…。」
「でも。」
「?」
「抵抗することを諦めたり、どうにかする為の手段を考える事をやめてしまったら、それが本当の終わりで、本当の負けなんだって事はわかります。」
「あきらめるって、こと?」
「そうです。味方を作ることを諦めたり、相手の事や何が起こっているのかを知る事をやめてしまったなら。諦めて、行動する事をやめていないうちは、まだ戦ってるんだと思ってます。…僕はね。」
「よくわかってないけど、脱獄犯の言うことなら…説得力あるかも。」
「でしょう?やっと、泣きそうな顔から立ち直りましたね。」

そう言って骸はくふ、と笑った。
ツナも、つられるように笑う。

「ねぇ骸、お前は俺の味方でいてくれる?」
「さぁね、マフィアは嫌いですから。」
「じゃぁさじゃぁさ、マフィアじゃなかったら?」
「報酬次第ですぅ☆」
「なんだよそれー、意地悪ー!」




そして二人が笑い合っていると突然、ボォーッと腹に響くような低く太い音が聞こえた気がした。
ツナが、骸が音のした方を振り向くが、そこには夜空と煌く天の川しかない。
首をかしげながら視線を向かい合わせて首を傾げる二人。
しかしツナは、骸の背後にあった装飾のついた不思議な柱が天に向かってすぅっと伸びていくのを見た。

「む、骸!」
「はい?」
「うう…後ろ!」
「どうしました?」

骸が振り向こうとした瞬間だった。

二人の周囲に、目を焼くのではないかと思う程に強い真白い光が満ちた。

「な…何なんですかっ…!?」
「うわぁぁぁ…!!」

今まで暗いところからの強烈な光である。二人は咄嗟に目を覆い、体制を低くしてうずくまった。






◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆






光に飲み込まれたツナと骸。
二人が次に目を開けた時、そこは山中の廃駅ではなかった。


「ここ、は…!」
「ほえぇ…?」


 二人の居たコンクリートのホームはそのままだったが、
骸の背後にあった不思議な柱はもとの高さの5倍くらいに伸びていて、頂点の不思議な彫刻から光を放っていた。
ツナが振り返ると、サファイア色のベルベットにダイヤモンドを零したかのように輝く満天の星空の元、そこはどこまでも続く、きらきらと輝く白い平原だった。
 平原は不思議に輝く純白の砂で覆われ、光が乱反射して様々な色に輝いている。
骸が振り返るとそこには、星空を映す巨大で透明な川があった。川底にはキラキラとした砂と小石が見て取れる。
 そして、その川の浅いところを白銀の線路が走っているのだ。

骸は靴を脱ぎ、ひらりとホーム脇に飛び降りて川に両足を浸しながら川底から石をひとつつまみ上げる。


「この川底の石…砂も全部、水晶です…!それに、ところどころ真珠が混じってる!」
「うそぉ!」


ツナもいそいそと骸に習って川の浅瀬に飛び降りる。
しかし、べちゃっと音がしてツナは転び、全身川に浸してびしょ濡れである。
その残念なツナを、呆れた顔をした骸が手を貸して起こした。


「まったく君って人は…」
「ご、ごめん…。」


全身から水を滴らせたツナが言う。

「でも不思議だね。全然水が冷たくない。」
「そういえば、水にしては透明すぎますね。不思議です。なんなんでしょうね、この液体…。」


骸はその白い手にひとすくい、川の水を汲んでみる。
視認する事が困難な程に透明な水は、触れているのかいないのかわからないような絶妙な温度と透明性で、
ぽたぽたと指先からこぼれ落ちていく。


「零れ落ちる感触は本物だし、確かに僕の手は濡れているのに…ここに水なんて存在しないような感じです。まるで柔らかくて滑らかな毛皮をなでたよう…不思議…。」




二人が顔を見合わせていると、不意にまた少し明るくなった。
今度は、先程のような全方位から飲み込んでくるような明かりではなくて一方からこちらへ向かってくる。

「ねぇ見て、あの光…あれってホームに向かってる…?」
「…そうみたいですね。それじゃ、一旦戻りましょうか…そのほうがいい気がします。」
「う、うん。」


そう言って骸はひょいと、その長い足でホームに戻った。ツナもよたよたとよじ登る。


「骸のいじわる!手くらい貸してくれたっていいじゃん!減るもんじゃないし!」
「だめです汚れますきたないで…す……」


むくれるツナになど気にもとめず、骸は一点を見ていた。
ツナが眉間にシワを寄せながらその方向を見ると…

巨大な黒い塊があった。


「これって…!」
「蒸気機関車、ですね…!どうして…!?」


ツナと骸の前に現れたのは、煙を吐き出しながらホームに滑りこんできた蒸気機関車だった。


「俺、展示されているやつじゃない、動く蒸気機関車って初めて見たよ!かっこいいね!」
「えぇ…でも…」


蒸気機関車はツナたちの目の前で静止した。
二人が客車のそばではしゃいでいると、乗り場から大柄な車掌が現れた。
車掌は爛々と輝く両目と真紅の革手袋で、ツナと骸を順に指さした。
どうやら、乗るのかどうか尋ねているようだ。片手には、色とりどりの切符も握られている。
切符には円での値段も書かれていた。ツナたちの感覚でも、安くはないが高くもない。そんな値段だ。


「…ねぇ綱吉くん、乗ってみませんか?」
「え?」
「蒸気機関車、乗ってみたくないですか?僕少し興味あります、ねぇ、乗ってみましょう?」
「で、でも帰りどうするの?お金、俺あんまり持ってないよ?」
「次の駅で降りれば問題ないですよ。そしたらすぐに次の戻りの便に乗りましょう?」
「なかったらどうするの?だってもう、こんな時間だよ?」
「それならば、有名な映画みたいに線路を歩いて帰って来れば問題ないですよ。お金のことも心配ないです、これくらいなら僕、立て替えてあげられます!」
「でも…」


ツナは車両を見る。
手入れの行き届いた汚れの少ない機関部に、落ち着いた赤と緑を基調にし、ところどころに金の意匠が施された豪華で美しい車両。そして手の届く値段の切符。
とどめに、いつまでも見ていたいと思わせる程に美しい景色。しかし…


「俺は、行かない。」
「どうして?」
「…わかんない。で、でも…行ったらきっと…戻れない、そんな気がするんだ。」

「だから、骸も行っちゃやだ、よ。」


ツナは骸の着ているシャツの裾を握る。


「怖い、ですか?」


ツナはふるふると首を振りかけて…その動作をやめて頷いた。


「怖くないですよ、僕も一緒ですから。」
「だ…だめ!」

「俺だけならいいけど…骸はだめ、乗っちゃダメ!」

ツナは振り向いて、車掌に向けて首を振った。
車掌はゆっくりと頷いた後、また車両に戻り…そして一呼吸おいた後に、列車は走りだした。

「あ……。」

夜空に、輝く白銀色の長い尾を引いて走り去ってゆく蒸気機関車を、骸は名残惜しそうに見ていた。
その脇でツナも同じ風景を見ながら不安気に眉を寄せ、骸の服の裾を握る手に少しだけ力をいれた。