ツナは眠い目をこすりながらバスの乗車賃を払い、よっと飛び降りる。
するとすぐに扉が閉まり、バスはそのまま走り去って行った。


「よく寝た…びょん!」
「体…痛…」
犬と千種が伸びをしたり、肩を鳴らしたりしている。
髑髏はぼうっとしながら財布をしまい、骸は道を確認している。
ツナは、見知らぬ景色をぼーっと眺めていた。

過盛市駅前のバスターミナル。
高いビルに、道路の区画を打ち抜いたような公園。
周囲のビルに比べれば随分と小さな街路樹が等間隔に植わっている。
ツナ達が降りたバス停の周囲には、他の場所へ向かうバスや客待ちのタクシーがたくさん止まっていた。
ところどころにぽかっと現れているのは地下への入り口である。恐らく地下鉄駅や地下商店街があるのだろう。その辺りからこの町の規模が推して知れる。

そんな町の大通りを歩く人々は、祭りのせいかとてもきらびやかだ。田園地帯と峠を越えて来た簡素な私服のツナ達…若干昭和の香りのする地味で簡素なな田舎 の中学生達は大分場違いだった。



「(この町に最後に来たのはいつだっけ?あぁ…全然思い出せないや。)」

街路樹の脇からのぞく大きな駅の反射を受けながらツナが考えていると、肩を叩かれる。

「綱吉、遅れるよ。」

ビラ配りのお兄さんをやんわりと断りながら、千種はツナを引きずるようにして先を行く骸達を追いかけはじめた。




◆◆◆◆◆◆◆◆




すっかり日の落ちた暗い空。
大通りを少し歩いた所、神社へ向かう道沿いに並ぶ数多の露店。
祭りの定番わたあめに射的。それから時々陣取るスマートボールに、おもちゃが並んだくじ。どこかで見た事のあるキャラクターのお面や、ちょっと高いジュー スに、普通に買うよりは幾分か安いたこ焼き。定番のお好み焼きや焼きそばの向こうでは植木市もやっていた。
その露店街を肩車をした親子が、浴衣を着たカップルが、お小遣いを握りしめた小学生が、談笑する老夫婦が、団子になった高校生が通り抜けたり買い物をした りしている。
その隙間から、「過盛市神社夏祭り」とプリントされたオレンジ色の祭り提灯が等間隔に灯っている。


その一角でツナと犬が射的に夢中になっている。


「城島君すごい、狙い通りだよ!」
「まだまだ楽勝だびょんっ!ねぇツナちゃん、次はどれがいいびょん?」
「え、次もいいの?…そんじゃぁ、あのクッキー!」
「了解らぁ!」


その隣の店では骸と千種が黙々と型抜きをしている。
100円玉と引き換えにもらえる2枚の型抜きお菓子と柄のついた画鋲。
骸の脇にはばらばらとほどけた包み紙があるが、千種はまだ2枚目すら開いていない。
おそらく、見た目よりも気の短い骸が半ば意地になり、千種は集中力200%+本気で慎重になっていると予測できる。
髑髏は骸の隣で、骸が失敗して割ってしまった型抜きお菓子をぽりぽりとかじりながら、その隣の金魚すくいの屋台を眺めている。


祭り提灯のオレンジ色の明かりに照らし出された露店街を、髑髏はぼんやりと眺めていた。



「(そういえば、お祭りなんて何年ぶりだろう。)」

髑髏の脳裏に浮かぶのは両親に手をひかれて行ったいつかの並盛神社祭だった。
まだよたよたとしか歩けない髑髏…凪の手を引いて行った、記憶にある最後のお祭り。


「(私は覚えている。あれはママが離婚する前。今じゃない、前のパパが居た頃だ。)」


押し寄せる人波に負けながらよたよたと歩く小さな凪。
優しい笑顔をした当時の…実の父親と、興味無さげに露店を見回す母親。

凪の目に留まったのは、小さくて鮮やかな魚の居る水槽。じっと見ていると父親が「やってみるかい?」と尋ねた。凪は小さくうなづく
はじめての金魚すくい。結局一匹もすくえずに和紙の網には大きな穴が空いてしまった。
もう一度、もう一度。父親にもらった5枚の100円玉がもう尽きてしまった時。露店のおじさんは、そんな凪の目の前で華麗に一匹金魚をすくって袋に入れ た。「やるよ、お嬢ちゃん。頑張ったじゃないか。」
凪はぽかんとその袋を受け取る。透明な袋の中でこちらを見つめ、口をぱくぱくさせる真っ赤な金魚。
「ありがとう。」
小さい声で言う。父親に「よかったな」と頭をなでられた。

「頑張った凪に、お父さんからもごほうびだ」

そうして父親は凪の手から真っ赤な金魚の入った袋を取り上げてしまった。直後に不思議な浮遊感。

「…たかい…」
凪は肩車されていた。
「…ふしぎ、とってもたかい…」
「怖いか?降りる?」
凪は父親の頭を"きゅ"と握る。"降りたくない"の意思表示だ。
「そうだ、これはお前の荷物だからな。自分で持つんだぞ?」
そう言って手渡された金魚の袋。ヒモを握りしめて高い高い目線から景色が流れる。
あんなに歩くのが難しかった道が、今度はすいすいと、まるで金魚が水中を泳ぐように進んで行くのだ。
父親の頭にへばりついて、金魚のヒモを握りしめて歩いた最初で最後のお祭り。



そんな懐かしい事を思い出しながら、金魚の屋台を見る。
赤い金魚と黒い出目金。

「(今の私ならばすくえるだろうか。)」

小さな赤い布の財布から、100円玉を取り出す。
屋台の親父は愛想良く受け取り、髑髏に1枚の和紙を貼った網と少し水の入った発泡スチロールのお椀を差し出した。

髑髏は、すみに居た赤い金魚に狙いをつける。
しかし、狙いを付けれども水に浸った網は金魚を水面から出す事なくすぐにやぶけてしまった。

「…」
ぽかんと網を見つめる髑髏。
その髑髏に親父は

「や、お嬢ちゃん惜しかったねぇ、お椀まで行かないとあげられないねぇ。」
ニカッと笑う親父。
眉間にきゅっとシワを寄せる髑髏。
「もう一回やる。」
そして髑髏はまた100円、親父に差し出した。

そしてしばらく経過する。
髑髏の財布の中のざら銭が尽きて来た。

「頑張ってるじゃないですか。」
「珍しいね、クロームがムキになるなんて。」
和紙の網を握りしめた髑髏をのぞき込んでいたのは、骸と千種だった。

「骸様…千種…もういいの?」
「ばっちり。200円かせいだ。」
そう言って千種は彼には珍しいVサインをした。
「骸様は?」
「………。」
「約2000円の無駄使い。」
「…頑張ってたものね。とても。」

骸はきまり悪そうに目を泳がせる。見ればその指はオレンジの提灯の明かりの中でなお赤く、小刻みに震えていた。
意地になっていたが指が限界だったのだろう。

「そういう髑髏だって人の事言えないじゃないですか。」
「うん、金魚欲しいの。」
「でも見た所一匹も捕まえられていませんね」
「うん。」
「さっきから見ていましたが、僕ならやれそうな気がするんですよね」
「…そう?」
「それはやめた方がいい」
「…なんですか千種。」
「型抜きの二の舞になると思う。」

骸は何か言おうとしたが、千種はその前に親父に100円払って網を買った。
そして千種は髑髏のお椀をとって、しゃがみ込む。

「よく見てなよクローム。水面が狙いどころ。」

そう言いながら千種は水槽の中央に狙いを付けた。
千種の目が細められる。黒い出目金が水面に浮かび上がるその瞬間を見計らって網を一瞬滑らせる。

ちゃぽん

お椀の中には黒い、小さな出目金。
ひらひらと尻尾とひれを動かしながら、口をぱくぱくしている。

「千種、すごい…」
「あげる。」

そう言って千種は網と金魚の入ったおわんを髑髏に渡した。

「いいの?」
「いいよ。網はまだ使えるし。」
「金魚は」
「あげる。君が世話してよね。めんどいから。」
「…ありがとう。」

髑髏は嬉しそうに笑い、もう一度水槽に向き直る。
そして千種がやったように水面を狙う。やはり穴があいて逃げられる。
でもコツはわかった。次なら行ける!
髑髏は確信していた。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆





大きな袋に金魚が5匹。それから小さな袋にもう1匹。
本日の収穫である。
髑髏は嬉しそうに5匹の金魚を眺める。
千種の出目金の他に赤い金魚が4匹。髑髏が自分の力ですくったものだ。
そして後ろで複雑な顔をしているのは骸だ。


「僕、今日はなんだか大損です…。」
「…仕方ないですよ、俺は止めました。」

骸も髑髏と千種の様子を見て挑戦していたのだ。
しかし…

「型抜きで2千円すって、金魚すくいでも千円すりました。しかも…」

骸は手元の袋に目を落とす。小さな袋に1匹の赤い金魚。

「しかも、屋台の主人がお情けでくれた1匹じゃ戦利品とも言い難いです…。」

渋い顔をする骸に、それならと千種は露店を指差す。


「それなら買えばいいんです。」
「いや、あぁ、まぁ確かに買えば確実ですけどねー。」
「たこ焼きは食べますか。」
「いいですねそれ。千種、さっき儲けた分でおごりなさい。」
「いいですよ。」
「……あなたがあっさりおごると、どうも不気味ですね…。いつもはもっと渋るのに。」
「今日の骸様には非常に楽しませてもらいましたから。」
「…ところで千種。」
「たこ焼きでいいんですよね骸様。」



「…いち、に、さん」

何度も金魚を数える髑髏の手に、冷たいものが触れた。
驚いて顔をあげる。目の前に居たのは骸で、冷たかったのは、骸の金魚の袋が当てられていたからだった。

「5匹も6匹も変わりませんよね。」

つまり、すくったはいいが世話がめんどくさいので、この金魚を引き取れという事らしい。
髑髏は骸の金魚を少しだけ笑いをこらえて受け取った。


「骸様」
「どうしました?」
「犬と、ボスは?」
「…月並みですが、どっかいきました。」
「どこか。」
「彼ら、射的の後ふらふらとどこかに行ってしまったきりなんですよ。要はつまり迷子です。あぁ面倒くさい面倒くさい!面倒くさい!」

文句を言う骸の後ろから、たこ焼きを持った千種が現れて続ける。

「だからこれから探しに行くんだ。たこ焼きを食べながら。」
「ここを?」
「そ。」

ずらりとならぶ露店と、星の数の如き数多の人。
これらは露店の端…先の通りから神社まで続いているようだ。

「大変ね。」
「めんどい。」

心底というようにぼやいた千種は、たこ焼きを口に放り込む。
たこ焼きの温度は幸運な事に丁度良かったらしい。

「ほら、髑髏も。」

骸はひょいとパッケージから爪楊枝を取り出し「ちゃんと3本あるあたり、気が効くじゃないですか」と一本を髑髏に手渡した。
髑髏はそれを受け取ってぷしっと、隅のたこ焼きを持ち上げる。落ちそうになるそれを慌てて口に放り込む。
骸と千種は、完全に歩き食いモードで探すつもりのようで、適当な方向に歩きはじめていた。髑髏も彼らに遅れないようについていく。

口に広がるマヨネーズとソースとたこ焼きの味。
お祭り特有の雰囲気と、甘くてしょっぱい味。



「(そういえば、お父さん昔たこ焼き好きだったな…)」






その昔、髑髏が両親と行った祭り。
露店街から少しはずれた場所で肩車から降ろされた。
見晴らしのいい、小さな崖の上である。
父親の手には、ここまで来る途中で買ったたこ焼きがあった。

「そういえば、ママは?」
「…あぁ、金魚すくいの時かな?どこかに歩いて行ってしまってね。」
「迷子?」
「そうかもね。でもこの並盛の祭りならそう広くないからすぐに会えるさ。」
「そう、かも?」
「そうだ、たこ焼きは食べるかい?うちじゃあまり食べないから珍しいだろう?」

凪の父親がプラスチックの容器を開ける。
ソースと紅ショウガのいい香りが立ち上る。
凪は湯気を上げるたこ焼きをのぞきこんで。

「…おいしい?」
「きっとな。祭りのは格別に美味いんだよ!」




「(懐かしいな。パパが食べさせてくれたたこ焼き、とても美味しかった。)」

でも。髑髏は少し目を伏せた。この後の展開を思い出したからだ。
あわてて頭を振っても、懐かしい空間に刺激されて開いてしまった、封印したはずの思い出の小箱が閉じる事はなかった。




「ねぇあなた、それってそこで売ってた奴?」

オレンジ色の電灯に浮かび上がる女性、凪の母親の姿。

「あぁ、美味いぞ。お前も食べるか?」

父親が立ち上がる。
凪も慌てて立ち上がろうとする



ぱぁん!



甲高い音が響いた。
凪は何が起こったかわからなかった。
草むらに落ちた無残なたこ焼きを見るまでは。

「何を…!」
「やめなさい、外で作られたものなんてきたならしい!」
「汚いってお前!」
「こんな汚いもの、まさか凪に食べさせたりしてないでしょうね!」
「…!」

母親は凪をキッと睨みつけた。
凪は呆とする事しか出来ない。

「凪あなた、口のまわり…!」

あ、とつぶやいたころには遅かった。
母親は吐くように呟いた。

「ありえない…!そんな汚いもの食べるなんてどうかしてる…!それにその魚…なによ。」

凪は慌てて金魚をかばうように背に隠す。

「見せなさい。」

凪はふるふると首を横に振る。

「見せなさい。」

凪は見せない。

「見せなさいって言ってるでしょ!私の言う事がわからないの!?」

母親は、両目に涙を浮かべる凪から力づくで金魚を奪おうとする。

「やめろ、落ち着け!」

父親が母親を取り押さえる。


「理解できない…!私は女優よ!これからまだまだ有名になるわ!その私の娘がこんな汚いものを食べた挙げ句、あんな…外で放されているような…汚い魚ま で!鳥肌が立つわ!ありえない!汚い!」

なおも母親は暴れる。

「今回の祭りだって、次のドラマの役作りがなければ絶対に来なかった!監督が言わなければ!こんな怖気の走るものだとは、こんなに汚くておぞましい場所だ とは思わなかった!知っていたら凪なんて絶対に連れてこなかったのに!凪はこの私の娘よ、綺麗な場所で綺麗なものだけを食べて綺麗に、清潔に生きなければいけないの に!」

「それは違う!あんな所に居た方がおかしくなってしまう!」

「違わないの!あぁ私の可愛い凪!汚れてしまった!こんな場で!こんな物を食べて!あんなものに触って!あなたはいつか、私の娘として美しく華やかな舞台に立つ べきだったのに!綺麗な服で!綺麗な肌で!綺麗な靴で綺麗な髪で綺麗な体で!綺麗に育つように綺麗な家で、清潔な部屋で管理された綺麗な食べ物を食べて! 子役として!私のように綺麗に華やかに舞台に立つはずだったのに!汚れてしまった!こんな汚い子いらない!」

「おい、それは言い過ぎだ!」

「うるさい!」



どん!



母親は父親を突き飛ばした。

突き飛ばした先にあったのは、崖。


「パパ!」

崖下をのぞき込んだ凪が見たのは、動かない父親と、変色した地面だった。



「(パパはあの後、一連の騒ぎを見ていた人が状況を察してすぐに呼んでくれた救急車のおかげで助かった。でも。)」

今ならわかる。
その後、あの場所にたくさんの記者が現れた事。
ママのスキャンダルが出回るのを危惧した事務所がそれを止めた事。

これを皮切りに両親が険悪になりはじめた事。
今ならわかる。パパが裁判で何を言っていたのか。

パパは私を引取ろうとしていた。お祭りで救急車を呼んでくれた人がどうしてあの場所に居たのか。

もう少しで終わるはずだった。
パパが勝訴して私を迎えにくる日、どうしてかいきなりパパは自殺した。

今思い出しても寒気が走る。
あの日ママが言った、「まだ間に合うわよね、綺麗になるわよね」と言う言葉の、あの時に見たママの目の恐ろしさ。その光の冷たさ。
そして続けた「次はもっとエリートでお金持ちでものわかりがいい人がいいわね」という言葉の意味。

あの事件の時の警察の人と、記者の人の顔、まだ覚えている。
あのきつく噛み締められて歪んだ口元。不思議な自殺。

私は昔からたくさんの"この世ならざるモノ"を見ていた。いつもはパパに話して神社へお祓いにいけば大丈夫だった。
でもママに話しても気味悪がられるだけだった。
私は私立の寄宿お嬢様学校に入れられていたけど皆になじめず、どんくさくてぼんやりしている私がいじめられるのも当然といえば当然だった。

私は綺麗ではないし、不器用だ。

周囲になじめない私。
変なものを見たり感じたりする私。
おまけにあがり症で舞台にあげられても何一つできない。
記者のインタビューに笑顔の一つも返せない。
そして同い年どころか年下の子役にまで馬鹿にされる始末。

私は何も出来ないし、必要とされてすらいない。

使い物にならない汚い私を、ママが見捨てるまでにそう時間はかからなかった。