階段は思いのほか長いものだった。
暗い階段を降り切るとそこには硬質な扉があり、さらに進む事になる。
「うげげ…やなにおいだびゃん…。」
「なんだか妙に…鼻にツーンと来るのなー!涙でる…。」
細い廊下には奇妙な匂いが充満している。
そしてそのさらに突き当たりにある扉の中に入る。
中は、幾つかロッカーがあるだけの質素なものだった。
ガーフィールドはそこから何かを取り出す。
「本来ならば、全員にボディチェックと消毒、白衣の着用をお願いするところなんだが…まぁ今回は特例だ、いいだろう。しかし、一応形式に乗っ取ると思って簡単な消毒と手袋の着用をお願いしたい。お嬢さん方は髪をくくってくれ。」
ガーフィールド博士の意向に従い、消毒液による簡単な消毒と手袋を装備したツナ一行。
博士に導かれるままに、薄汚れた扉をくぐる。
「はひー、真っ暗ですぅ!」
「うげっ、止まるなアホ女!大丈夫ですか十代目っ!」
「う、うん大丈夫……目がなれないな…」
目が暗闇に慣れてくると気がつくのは、
そこら中にところ狭しと並べられた小さなガラスの瓶。
ガーフィールド博士は部屋の向こう側の壁に手をかけ、小さな明かりをつけた。
「真っ赤な瓶ばっかりなのな…。なぁ研究者のおっさん、これ何なんだ?」
「これは全部…メドゥサ・アイの適合実験に使われた中で反応のあった人間の血液だ。」
「!」
「それから、眼球も保存してある…。魔術を用いた研究は全てここで行なっていたんだ…。」
「あまり余計な事を話さないでくれるかな、エリュー博士?」
ガーフィールド博士が刺すような目を向ける。エリューと呼ばれた研究者はビクッと身をすくませる。
そして彼は向き直り、話を続ける。
「ここにあるのはさっき聞いた通り、メドゥサ・アイや、魔術に対して反応の見られた人間たちの血液や眼球、髪の毛などのサンプルさ。光に直接当ててしまうと変質してしまう可能性があるのでね、暗いのは容赦してくれたまえ。」
「その持ち主は…今どこに?」ツナが尋ねる。
「さあねぇ。あぁ、どこかに死亡記録が残っているかもしれないとは思うが。」
「…だろうね。嫌な予感はしていたんだ。」
静かに雲雀が尋ねる。
「でも、こういう事をやるとメリットよりもデメリットの方が大きいと思うんだけどど。僕ら裏社会の人間にも知られていない人買いのルートなんて、近年は大分減ったんじゃないの?」
「答えがいのあるいい質問だね、その通りさ。最近はめっきりやりにくくなってしまった。だからこれらが必要なのだ。さ、こちらの部屋に来たまえ。この質問に回答しようじゃないか。」
ガーフィールド博士に続き、一行はもうひとつ隣の部屋へと向かう。
その部屋はなかなかに広かった。先ほどのサンンプル部屋とは雲泥の差だ。しかし、その広さはあくまでも容積の問題であり、体感的にはとても狭く感じられる。
なぜならばその中央には、なにやら怪しげな音を立てる巨大な機械があるからだ。そしてその巨大な機械を取り巻くように幾つもの縦長なガラス管やビンがところせましと置かれている。
見ればそれらのガラス瓶から伸びる配管はすべて、中央の機械につなげられていた。
ここにある全部の器具をかろうじて見下ろす、少し高い位置に扉がある。鉄製の簡素な階段を降りたガーフィールドが手招きする。
「…この部屋…怖い…」
「クロームちゃん…」
「はひぃ…」
「なんか知らんが極限だな!」
「俺も怖かったですけど笹川氏見てたら吹き飛びましたよ色々と。」
「あ、それわかる気がするのな!」
「知ってる?それ世間一般では萎えるっていうんだよ。」
「雲雀の解説って正しいようで正しくねー気がするぜ。」
「ねー柿P…」
「最低。やな事思い出しそう。」
「…。」
「…。」
沈黙する犬と千種の頬を、骸が無言で思い切り頬をつねる。彼らも続いて部屋に入った。
やたらと大きな…扉が閉まる音が室内に響いた。
「いい部屋だろう?」
ガーフィールド博士が得意げにつぶやく。
鼻をフンと鳴らして答えるのはノールド博士。
「用途は何だ。おそらく上ではやれんような事なのだろうがな、外道め。」
「外道とは心外だな、ノールド。」
「貴様の興味のために、先ほどの…あれだけの人間を殺してきたのだろう。それを外道と呼ばずに何を外道と呼ぶのだ。」
「フン…最近は殺してなど居ないさ。エリュー博士が居るということは誰か上の研究室に入ったのだろう?ならば知っているはずだ。人間の死体は殆ど無かった、そうだろう?」
「…そうだな。なかったぜ、死体はな。」
体の震えを殺して立っているエリュー博士をちらりと見やった山本は静かに答える。
ガーフィールド博士は続ける。
「ここ数年で…戦争の形が変わってきた。
今までの武力による戦争もあるにはあるが、噛んでる連中の顔ぶれは以前よりも決まりきってきやがった。
どさくさにまぎれて人間を”入荷”する連中も組織化して、融通もきかんしやりにくいったらありゃしねぇ。適当に武器を流し戦争を煽り難民となった人間を手
に入れるにしたって、変な所で国連が目を光らせてやがる。国も政治家も国連もみーんな金持ちに…いわゆる<いつもの連中>に買われてやがるか
らな。従来の貧民を売るルートはあんたらマフィアが目を光らせているし、かと言って土地を買う、地区をまるごと買うようないわゆる”経済”を用いた近代型
の買収は個人で、それも研究にも投資が必要な身ではちと身に余る。だからこのシステムを作ったのさ。」
ガーフィールドは振り返り、緑色の燐光を放つガラス瓶をセットされた巨大な機械を見やる。
「このシステム…?」
獄寺がその片眉を上げながら、部屋にある数多の瓶のうち適当な一つを覗き込む。
瓶の中では小さな、短いヒモの結び目のようなものが浮き沈みを繰り返しているのが見て取れた。
「これが一体何だってんだ…?」
「…クローンですよ。」
獄寺の疑問に骸が答える。
「は?」
「貴方だって聞いたこと位ならばあるでしょう?」
「…生き物の複製技術…だったか?」
骸が目線でガーフィールドに尋ねる。ガーフィールドは無言で先を促す。
「恐らくは、先ほどの部屋にあった人間の一部…血なり眼球なりの細胞を取り出し、その中にあるDNA…生き物の設計図から、素体となった人間を複製するの
でしょう。もしこの方法で検体となる人間の培養が行えるのであれば、わざわざリスクを冒して人買いを利用する必要はなくなります。そのうえ、最初から
<才能あるもの>を使って実験できるのならば、こんな便利なこともないでしょうね。」
何事も無く言ってのける骸を、嫌な顔をした獄寺が横目で見やる。
ノールド博士は小さく「人でなしが…」とつぶやく。
構わず骸は言葉を続ける。
「バイオテクノロジーの分野では随分昔から確立されている技術ですよ。遺伝子組換なんちゃらってやつの仲間です。医療においては部分的に使用が許可されて
いる事もあります。…人間を完全な状態で複製するというのは禁じられていますがね。まぁ、この場に法律やモラルがあるなんて思っちゃいませんが。しか
し…」
骸は静かにガーフィールドを睨みながら続ける。
「ガーフィールド博士、あなたはこんなにたくさんのクローンを用いてどうするつもりなのですか?
僕が知る限りでは、クローンは一部の例外を除いて殆どの場合非常に短命です。邪眼を扱える個体を生成する事が可能だったとしても、眼の制御が可能なほど精神が成熟する以前に命を落とてしまっては、使いものにならないのでは?」
ガーフィールドは骸の向ける鋭利な視線など意に介さず返答する。
「良い質問だ、実に素晴らしい。そういう意味でも私は君を買っているのだがね…。しかし、目の前のクローンに囚われて肝心な事を見落としているな。それはいただけない。」
「…肝心な事とは?」
「君も見たはずさ。オリジナルではない、複製された邪眼だよ。」
「!」
「見ての通りあれはオリジナルに比べて格段に威力が落ちる。しかしクローンで複製された連中が扱うにはあれでも強すぎるくらいだ。そうは思わんかね?しかしまだまだ威力を弱める必要がある。」
「理解できませんね。そんなまがいものをなぜ欲するのか。」
「簡単なことさ。…さてドン・ボンゴレ。商談といこうじゃないか。」
話を振られたツナは眉間にゆるくシワを刻みながら顔を上げた。
ツナとガーフィールド、二人の視線がかち合ってさながら火花でも散るように見える。
「商談、ねぇ。」
「私はこれらのクローンに、複製し威力を弱めた邪眼を与える予定だ、一人辺り一つさ。すると邪眼を装備した強力な兵士が…奴隷が出来上がる。
精神だってろくに成長しておらぬまっさらな状態で出荷も可能さ。馬鹿に謀反はおこせまい。面倒事にはもってこいだろう?それに魔眼ならば、現場に痕跡が残った所で表の人間には何があったのかも判別はできまい。奴らは科学を信望しておるからな。
それに、自爆装置でも内蔵しておけばより扱いの幅は広がるだろう。加えてほうっておいてもすぐに寿命で死ぬ。需要が途切れることもあるまい。」
「…なるほど。」
「しかしこの研究はまだ完成してはいない。クローンをより長持ちさせるための方法と、邪眼に関する情報。それらを研究するための資金が足りないのだ。ドン・ボンゴレ。私は、貴方に私のスポンサーになって欲しい。」
「…。」
「この魔眼兵士が完成した暁には、もちろん貴方が捌けばよい。使うなり売るなりな。ボンゴレは兵器売買で進出したマフィアだ、新商品と技術を独占できるのは悪い話ではないだろう。」
「どさくさにまぎれて六道骸を研究したいとかは言い出さないんだね。」
「そりゃぁもちろん、貴方のもとにいる三体の生体兵器は非常に魅力的だ。教団としては六道骸を抑えたいところだが、検体として魅力的なのはむしろ、城島犬、柿本千種の方さ。」
一瞬の緊張が走る。なおもガーフィールドは続ける。
「史上唯一の、細胞レベルでの改造に耐えた個体、個体名"城島犬"、現代の科学史上もっとも長命なクローン人間、個体名"柿本千種"。そして極めつけに、数少ない<人工的に創りだされた天才>と呼ばれる程の邪眼の使い手"六道骸"と来たものだ。
これほどの標本をボンゴレがすべて抑えて監視下においている現在、エストラーネオの研究資料が高値で取引されるのも納得が行くというものだ。」
ここでガーフィールドはちらりとツナを見る。
「なるほど、条件次第…おもに骸達を標本として差し出すかどうかでさらに融通が聞けるって事ね。」
「物分りのいい人間は好きだよ、ドン・ボンゴレ。」
ツナが周囲を見渡すと、犬と千種が口元を引き結んでツナとちらちらと伺っているのが目に入った。
骸、山本はそれぞれに思うところがあるのか無表情。
雲雀、了平はいかにも興味がない(あるいは自分には関係がない)と言った風に静かに眼を閉じている。
ランボ、クローム、エリュー博士が不安げな表情を浮かべており、
獄寺、京子、ハル、ノールド博士はいかにも胸糞悪いといった顔だ。
だが誰も自分の意見を言おうとしない。つまりは全員がツナの「判断待ち」である。
そしてツナはその重たい口を開く。
「俺はこの商談を………………………受ける。」