事の始まりは数日前の事だったの。
普段は断っている、街頭のビラ配り。
断るタイミングを間違えてしまって差し出されてしまったの。
申し訳なくって受け取ったそのビラには、こう書かれていたわ。

「喫茶店 : 銀紫のティーカップ」

変わった名前よね。宣伝文句も気に入ったわ。
「今日一番の魔法を身に着けていらっしゃい」なんて初めてよ。

だから私は、今日その喫茶店へ行ってみることにしたの。
石畳の石をひとっつ飛びにしなが噴水のある公園を曲がって、あの古い橋を渡るのよ。
変わった植木鉢の置いてあるお店を通り過ぎるの。そこからね、えっとね。
複雑な道だってばっちり頭に入っているわ。あとは歩くだけ。そう、思っていたの。


なのに…

なのに、迷ってしまった。


ここは見知ったはずの街なのに、全然わからない。ここはどこなのかしら?

大路から小路へ。路地裏も通り抜けて。橋なんて渡ったかしら?覚えていないわ。
わたし知ってるの。こういう時は動かないほうがいいのよ。
そして、詳しくわかっている道まで戻ってから思い出すの。
でもね、どうしよう?足が止まらない。
不思議。どうしてかしら?私は魔法を使えないからなの?
(幻術を勘定するなんて無粋な事をするつもりはないわ)




しゃらん!




私が困っていると、どこからかタンバリンの音がした。
どこから?


しゃららん!


風にのって聞こえるタンバリン。こっちね!

軽やかなタンバリンの音を頼りに、道から路へと抜けてゆく。
どうせもう迷子だもの。こうなったら徹底的に迷ってやるんだから!


そんなことを考えたのもつかの間。
狭い路地に高い建物ばかりひしめくエリアを抜けた私がたどり着いたのは、広場だった。
豪華な教会の前にある、古い広場よ。
こんな場所あったかしら?私、知らないわ。

タンバリンはその広場の片隅から聞こえてくる。見れば小さな人だかりが出来ていた。
人垣の向こうに見えたのは…

「(ハルちゃん!?)」

すみません、ごめんください。そんな事を言いながら人垣をかき分けて前へ行く。
近くで見た、その踊り子は…



「(違うわ、ハルちゃんじゃない。もっと南の国の褐色美人(アジアンビューティー)だわ)」


小さなラジカセを置いて、その女性は踊っていた。

彼女がくるりと回るたびに、手と首につけている鈴が澄んだ音を鳴らす。
軽やかなステップは、いたずらにきらめく波のよう。
踊りに合わせてひらひらと揺れるスカートは、鮮やかな花びらに似て。
太陽のように華やかな笑顔で、彼女が眺める彼方は…

「(この人はきっと、宝石のように輝く海のある国から来たんだわ。)」


しゃらん!


タンバリンの音が金色に響く。

「(この曲は魚だわ。まるで海のように空を泳ぐ魚のための曲。)」


私にはその魚たちが見えるような気がした。
燦々ときらめく太陽の下、澄んだ海から空へと飛び上がる魚。
金色のウロコをいたずらにゆらして、南の花の香の混じった風の隙間を泳いでいく。

しゃらん!

タンバリンがなるたびに魚は更に高みへとジャンプするの。
そうよ、もっと自由に、もっと雄々しく、もっともっと空高く!
力強い尾びれに弾かれた風の欠片(水しぶき)は白い雲になるの!
魚は徒に下降して、気まぐれに飛び上がる。素敵だわ、素敵だわ!今、空はこの魚のためにあるのよ!




どのくらいそこに立って、彼女の踊りを見ていたのかわからない。
魚が海の彼方に行ってしまうまで。水しぶきの雲が消えるまで。
私はずっとそこにいたわ。

音楽の終わりと同時に私が現実に戻ってきた時、現実では雨が降っていた。
きょろきょろとあたりを見回して気づく。

「(わぁ。もう誰もいない。それに大分濡れているわ。気が付かなかった。)」


ふと顔を上げると、ハルちゃんによく似た踊り子と目が合う。

「(そうだお金!)」

彼女の持っているタンバリンに幾ばくかのお金を…少し多めに入れると、彼女はとても嬉しそうに笑い、彼女の国の言葉で何か(多分お礼を)言って去っていっ た。



私はもう大分雨にふられていたようで、かなり濡れていた。
普段なら、気分は最悪で小石を蹴っ飛ばす程度の八つ当たりをしてしまう所だけれど、今日はとっても上機嫌。不思議ね、今なら魔法だって使えそう。
そんな事を考えながら歩いていたら、中古のCDショップが目に入った。


「(どのみち、喫茶店に行くにはもう迷いすぎてしまったわ)」


そう思い、少し雨やどりもかねて中にはいってみたの。

このCDショップは…CDと言うよりもレコードが中心なのね。
小さな店舗の中に、これでもかというほどのレコード、それからビンテージものの楽器がぞんざいに突っ込まれてごった煮になっている。うず高く積まれた未整 理のCDとレコードの隙間で年取った店主が一服している。

私はまず、肩の力をぬいて…足の向くままに店内を歩いてみる。
そして目のあったレコードを手にとって見る。見たことのない楽器が描かれていた。



「ダルシマーって楽器だよ、それ。」

遠くから店主が声をかけてきた。

「知ってるか?お嬢さん。」
「いいえ。」
「なら聞かせてやるよ。丁度…いや、見ての通りヒマだしな」

店主にレコードを渡すと、彼は側にあったプレイヤーを開けてレコードに針を落とす。

「お嬢さん美人だからな、特別だぜ?」

店主がニカッと得意げに笑うのと同じくして、「きん」と張り詰めたような響きが空気に響いた。
その音色は、例えるのなら黄金の糸。
平原を抜けて山の向こう。遥か彼方の湖を通りぬけて、霧の彼方から響く黄金の旋律。
耳を通り抜ける時のかすかな振動が心地よい不思議な音楽。


「(これはとんだ掘り出しものだわ。)」

わたしはそのレコードともう一つ、綺麗な白い鳥の描かれたジャケットのレコードを買おうと思った。


「お嬢さんいい趣味してるね。その二枚は俺の知ってる限りでも最高級の一品達さ。」

突然店主に話しかけられて、一瞬戸惑う。

「さっきかけて聞かせたのも、だからだよ。この店は、俺が今までに生きてきて見つけて、収拾してきたお宝たちを売るために作ったのさ。」
「宝物を、売ってしまうの?」
「あぁそうだ。見てわかるだろ?俺だってもう結構な歳だ。俺が死んだらこいつらは処分されるか部屋の奥にしまわれて日の目を見なくなるか、価値の分からな い連中に買い取られるだけさ。だから俺が生きているうちに、新しい、こいつらの価値のわかってる主人を一人でも多く見つけてやるんだ。」
「それなら、私じゃ買えないわね。」
「いいや、そいつはあんたのさお嬢さん。あんたがどんな善人で悪人かは知らないが、さっきのレコードを聞いてる時の顔を見りゃわかる。あんたは俺の考える タイプの悪人じゃぁない。」
「あなたの考える悪人って?」
「本か何かでこいつらの情報を仕入れて、ろくすっぽ聞きもしないで素晴らしいと褒め称えてるような自称目利きたちさ。そういう連中は、せっかくの宝物をク ローゼットの肥やしぐらいにしか扱わねぇ。俺にもそういう時期はあったしな、でけぇ事は言えねぇがな。」

店主の話を聞きながら、私はちらりと周囲の棚を横目で見る。そう言われて見れば汚い、何度も何度も触られて手垢のついたようなくたびれたレコードばかりが 並んでいる。

「俺としてはだ。レコードってのは大事にしまい込まれているよりも演奏されたがっていると思うんだよな。うん。たとえそのせいで己の寿命がどんどん短く なっちまうとしてもよ。」
「それは、少しだけ…わかる。」
「だろぉ!?だよな、うんうんまったくだ。聞かれるために生み出されたもんは聞いて浸って喜んでやるのが一番の幸せだろうよ。」
「…それに…そのレコードが演奏している間、お気に入りの紅茶とちょっと高級なお菓子を用意して、誰かにもらった花束を添たら。そうしてレコードの音楽の 世界に浸ったなら、その時間は最高だと思うわ。」
「お嬢さん、見たところ東洋人だな。…そうか、ならそうなのかもな。だがなここはイタリアだぜ?…付け合せは濃い目にいれたコーヒーさ。添えるのは新鮮な フルーツだ。花束か、いいねぇそいつは俺も同感だ。しかし俺は男だからな。花束をもらうんじゃ格好がつかない。そこが問題だ。」
「それなら花屋を一件買い占めちゃったら?」
「…あっはっはっ!お嬢さん面白い事を言うねぇ、そいつぁいいや!そんでもって、花屋の権利書かみさんに突きつけて、一発げんこつもらって笑ったなら、な かなかどうして粋ってもんだ!気に入った!お嬢さん、こっち来な、もう一枚レコードをおまけしてやるよ!」
「そんな、いいの?」
「あぁいいさ!お嬢さん、さっきのダルシマーいたく気に入ってそうだったからよ、こいつも持ってきな!きっと気に入るはずだ!」

そう言って店主が渡してきたレコードのジャケットには、青い宝石のような海と、鮮やかな港町。それに翼を広げた大きな鳥の絵が描かれていた。

「こいつは、欧州の南、古い港町で生まれた曲さ。きっと気に入る!うん間違いねぇ!」







店主に丁重にお礼を言って店を出る頃には、すでに雨は止んでいた。
私はもう、どこを歩いているのかわからない。だから気の向くままに歩くのよ。
小さい頃、横断歩道の白い部分だけを歩いたように、石畳の石を1つ飛ばして歩いてみる。時々は2つ。小さい頃は難しかったのに、今ではこのくらいの距離は 簡単だわ。そうだ、3つならどうかしら?4つだったら?
ふふ、いい年なのにこんな事して子供みたい。でも全然気にしないわ。ここはどうせ知らない場所よ。

不思議ね。町を包む雨上がりの少し土っぽい、生臭い匂い。
虹が出ているかと期待したけれど、そんな事はなかったわね。残念だわ。
でも、東の空にまだ残る雲のあちこちから覗く薄日は素敵だわ。何かの本で読んだから知ってる。あれ、「天使の階段」って言うのよ?

胸に抱えた宝物。3枚のレコード盤。

「(わたしはレコードをかける機械を持っていないけれど…確かボンゴレのどこかの部屋に、使われていない、年代物と言うにはちょっと新しすぎる不恰好なプ レイヤーがあったはず。あれを使わせてくれないか、ボスか誰かに聞いてみよう。)」


今日会った南の国の踊り子。軽やかな踊りとタンバリン。鈴の音がまだ鮮明に瞼に焼き付いている。
自分の宝ものを、気に入った相手に売るレコード屋さん。あの埃っぽい空気、私は好きだな。あのお店にあった、店主の3枚の宝ものは、今は私の宝物。
聞いてみたのはまだ一枚だけだけれど、きっと全部大切になるわ。そんな気がする。もし好みじゃなくても大切にする。ううん、大切にしてしまうと思う。

あぁ、困ったもんだわ。気持ちがはずむ。水たまりが写す空はまだ薄く曇ってる。なのに私の心だけ快晴よ!連日の忙しさで疲れた体も、一緒になってはずむよ うだわ。
そう、こんな時は魔法が使えそうな気がする。
そうだわ、最初に行きたいと思っていた喫茶店。今日一番の魔法を身に着けていらっしゃいって書いてあった。今の私ならあのお店を見つけられる気がする。


そんな気持ちで角を曲がった時。


「あら?」
「あれ?」

見覚えのある蜂蜜色の目に遭遇したの。

「髑髏じゃないか!こんなややこしい所でどうしたの?迷った?」
「ボスの方こそ!今日はお仕事…」「やめて」

「…抜け出してきたの?」
「や、その…抜けだしたわけじゃないよ!ちょっと休憩!一服しようと思っただけ!」
「そうなの。」
「この辺は道がややっこしいからね。簡単には見つからないんだ…あっ、骸には連絡しないでね?」
「それは命令?」
「え、あぁ…うんそう命令!」
「ならしょうがないね。見返りはある?」
「ほへ?あ、そうだな…よかったら髑髏もそこで一服しない?おごるよ?」
「嬉しい、素敵な報酬だわ!」

そう言ってボスが案内した喫茶店の看板にかかっていたのは



「"銀紫のディーカップ"だなんて、変な名前だよね。」
「そうかしら?とっても素敵だと思う。」


店内は年季の入ったアンティーク調だった。ボスと一緒に適度に奥まった席に座る。

「(この椅子、背もたれのニスが何度も塗り直されてる。テーブルの足もだわ。沢山の人達がこの椅子に座って、このお店で時間を過ごしてきたのね。)」

見れば、他の椅子やテーブルもみんなそう。他のアンティークたちもみんな、きちんと細かいところまで手入れがなされている。厨房の入り口にかかっているク ロス。あれ知ってる。食器を磨くためのものじゃないの。ニス塗りの木材を磨いてツヤを出す、そんな感じのものだった気がする。

「(これだけ店主に大切にされているお店だもの、確かに魔法ぐらい使わなきゃ見つかってなんてくれないわね)」




「ねぇねぇ、髑髏は何がいい?」

ボスに問われて現実に帰る。

「そうね…紅茶がいいな…」

呪文のように並べられたメニュー表に目を通していると、店の奥にしつらえられた蓄音機がなる

「(あ、この音…ダルシマー。)」

横目で壁を見やれば、南国の写真がかざってある。

「ねぇボス、私ダージリンがいいな。それにフルーツもつけて欲しいの。」

本当はお砂糖たっぷりのミルクティーがいいなって思ったけど、今日は少し我慢なの。
だって今日は、南国の魔法とダルシマーの魔法。今日の収穫3枚のレコード。
2つの魔法をまとってる今日の私は魔女なのよ。いつもよりもっと綺麗なはずなの。
だから少し気取らなきゃ。魔女ならきっと、甘いミルクティーよりもストレートにするはずよ。
私はケーキが好きだけど、店主が言ったようにレコードにフルーツってのも試してみたいな。
(でも濃い目のコーヒーは苦いから今回はご遠慮ね)

「どうしたの髑髏。今日はすごく嬉しそうだね。」
「秘密よ、ボス。」
「なんだよ教えてよー。」
「骸様は、女性は秘密を抱えて気取るくらいが丁度いいって言ってたわ。」
「俺にはわからないなぁ…。」
「そうかな?でも全部知ってしまうのは面白くないでしょ?」
「うー…あ、そうだ。」
「?」


そう言ってボスが取り出したのは小さな小包。

「"海の底アクセサリー店"?」

「開店セールだとかってんで、そこの道で配ってたんだ。断ったんだけど、"大切な人に"って言われちゃってさ。ほら、俺の女性事情知ってるだろ?」

「開けていい?」
「あ、うん、どーぞどーぞ」

小包を開けると、小さな箱。開けると小さなガラス玉のついた愛らしいブローチが入っていた。
顔を上げると、ボスってば完全に目が泳いでる。
「(同じテーブルに座ってるのに他人のフリしてる…)」
こうなると、ちょっとだけ意地悪がしたくなる。

「ねぇボス、京子ちゃんに渡さなくっていいの?」
「……俺なんかが渡せると思う?本人を目の前にして真っ赤になって謎の言葉を喋るのが関の山だ。」
「ハルちゃんは?」
「無理だよ、何か騒がれちゃったら、噂がたったらって思うと全然無理。」
「うふふ、そっかぁ…。」
「そうだ髑髏、この事は黙っててよね。」
「それも命令?」
「えっ?…あー、うん、そーだねぇ…報酬は?」
「うふふ、いいの。もうもらったから。」

そう言って、もらったブローチを服につけてみたの。


「どう、似合う?」
「…。」

ボスったら、骸様が居たら確実に「マヌケ顔」って言われちゃうような顔をして私を見てたわ。
今日のハルちゃん似の南の踊り子、3枚のレコード、ガラス玉のブローチ。三段重ねの魔法の威力は想像以上だったみたいね。



まるで南の国の、海の底の魔女になったような一日のお話。



〜おしまい〜


お疲れ様でした。
この間祖母の家にある「小さなお茶会」って漫画を読んだので、
オマージュ…というか焼きましパクリ。
もうぼろぼろになるほど読まれた本だし、いつか個人的に完全版欲しいな。

あんなふうに詩的に物語を綴れたらいいのにっていつも思う。


そうだ、ダルシマー聞いてみたい人向け。興味があったらどうぞ。
http://bit.ly/ILWK1l (youtube)

あとこのお話全体のイメージ音楽。
約束の町ー葉加瀬太郎 (ニコニコ動画)
http://bit.ly/66Sy4C