真夜中。
ボクもアッス君も起きていた。いつもなら二人とも爆睡中なのに。
今は眠くないし、眠りたいとも思わない。

ユーリの呼吸は、さっきよりもずっと静かで感覚が広くなっていた。心電図の波も凪いできた。










———「誰が一番先に死ぬか、賭けようか?」


この前、コンサートの打ち上げと称してわいわい宴会していた時に彼が戯れに言った言葉。
—あぁ、確かボクはユーリに賭けたんだっけ。
賭けたのは一ドル札一枚と一欠片のチョコレート。あまりの安さにみんな大笑い。
ちょっとしたお遊び。




…何となく嫌な事を思い出しちゃった。

チョコレートなんかいらないから、こんな覚悟させないでよ。
アッス君もこんな覚悟したくないって思っているハズ。
顔見れば分かる。

ボクはこんな事、認めない。
そう思った矢先、病室の扉が開いた。





入ってきたのは中年くらいのオジサンとオバサン。それに、お巡りさんが一人。

オジサンはどことなく薄汚い格好をしていて、何かめちゃくちゃ酔っぱらっている。
オバサンはなんだか派手で小綺麗な格好をしている。
お巡りさんはなんだかやる気無さげ。

一体何の用なんだろう。



「何の用っスか。」
アッス君、いつになくぶっきらぼう。
こんな時だもん。当然だ。


「このたびはウチの主人がとんでもない事をしでかしまして…」


…謝罪。最悪的に最悪のタイミング。
聞きたくない。今は特に。



「悪いケド帰って。今は聞けないな。」

お願いだから帰ってヨ。今は気持ちも受け取れない。




「ならば、用件だけでも…」
「却下。悪いけど今は何も聞きたくナイし、話したくもナイんだ。」

早く帰れ。目障り。



「お時間はとりませんから・・・」
「帰って。」

しつこい。帰れ。



「あちらサンもそういってるけ、早ぁく帰ってぇ、冷えたビールを…」
「お黙りっっっ!」

ケンカはかえってからして。早く帰れ。失せろ。



「今日、ここに来た用件、
手短にお話いたしますと、その、なんというか、、ズバリ、賠償金だとか慰謝料の御相談なのですけれど…」







…頭下げに来たワケじゃあないんだネ。
お金の為か。自分の為みたいだ。
ボクの友達傷つけといて。こんな所に寝かせておいて。

「ウチの主人がはねたヒト、世界的にも有名な人らしいじゃないですかぁ。
ウチも貧しいもので・・・その、あんまりたくさん請求されると、私たち、暮らして行けなくなってしまいますので…そこんとこ、ご理解頂けますでしょうかねぇ?」



この人たちにとって、ボクらって何なのだろう。
金ばっかもっていこうとする闇金みたいなもの?
少なくとも、こっちは被害者だよ?
深刻なのはボクらだよ?
死にかけてるのはユーリだよ?痛い思いしているのは、苦しい思いしているのはユーリなんだよ?
ボクらが奪われかけているモノはお金とかいう紙くずじゃあないんだよ?
紙くずなんかじゃあ対価にならない、かけがえのない、大事な、大切な、親友なんだ。


腹の底の感情が渦をまいて、胸を圧迫している。
泣きたくなってくる。
早く帰ってよ、本当に。いなくなってよ、目の前から。
ボクが我慢できるうちに。





「…で、そうで……ああで。んーこのくらいかしら?それに、飲酒運転だと平均でこのくらいだから…」


「…飲酒運転?」
ボクはとっさに聞き返す。



「え?……えぇ、確かに、そう、言いましたわ。…ええと……ウチの主人ってば、あの日に限って昼間っからお酒を…」
「うるせぇ!黙れええぇ!こんなのが女房なんだ、昼間でも酒ぐらいあおりたくもなるわあぁ!!」




——こんなのがユーリを傷つけたの?




「アンタは黙りなさい!黙って頭さげてりゃいいの! だいたい、アンタがこんな事故をおこすから…」




——こんなのがユーリを苦しめているの?




「うるせぇ! 悪いのはおめーだろ?おめーが金ばっかり使ぁからだろぅが!」




何か、真っ白。

何か、体が動いた。

韓国で、お土産にしようと思って買った、ユーリが好きそうな細工のしてあるペーパーナイフ。
ポケットから取り出して低い位置で構える。

そして、ボクは床を蹴った。
ボクの単眼が捉えるのは“ヒト”の急所。




ズッ・・・・・






ボクの体は、ナイフがオジサンの腹をえぐる直前、絶妙のタイミングで止められていた。
止めたのはアッス君で間違いないと思う。ボクのスピードについてこれる奴なんてそうそういるもんじゃないハズだもの。
お巡りさんが腰を抜かしている。


「お引き取りくださいっス。」


アッス君の一言で、3人は逃げるように退散して行った。

やっと静かになった。

「ごめんねアッス君…。」
「いいっスよ。後一瞬遅かったら、多分俺が止めてもらう側になってたと思うっスから。」


ペーパーナイフをポケットに戻して、踵を返す。真白いユーリが目に入る。
静かに歩み寄り、彼の顔を覗き込む。




彼の呼吸はとても静かで、耳では聞こえなかった。でもまだ、胸はゆっくりだけれど上下している。肺は、動いている。
ユーリ、眠っているみたい、だ。

そういえば、一番お酒に弱いのもユーリだったっけ。
いつも寝こけて…アッス君とじゃんけんして、負けたほうが、ユーリしょって帰ってたっけ。

あの時と同じような寝顔。
でも、今とあの時とは違う。
今はもっと静かで、遠い。




彼の顔にかかった銀髪を軽く耳の方にながす。
綺麗な顔がよく見える。
ボクにできる事といえば、これだけ。どれだけお金があっても、それだけ。

そんなボクを、アッス君がぼんやり眺めているのが目に入る。
ボクもそろそろ、現実を見なくちゃならない。

そういえばボク、神頼み聞いててくれるような神様知らないや。
MZDは別物だものね。
じゃあ、誰に祈ろうか?


——ユーリを連れていかないで——

たった一言、ささやかな願いは白い病室にすら響かない。





◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




はぁ……!はぁ………!

もう、ずいぶんと、ながいこと、はしっているのでは…ないか??


だんだんと、体が重く、苦しく、痛みを帯びてくる。
それでも、頭の中とか、意識は大分はっきりとしてきたが!

ちらと振り返るともう随分走ったはずなのに、まだ扉が見える。
こころなしか、扉の引力…強くなっていないか?



私を捕らえようとしている?

・・・・まさかな?


背後にはあの扉しかない。
でも、なんだか嫌な、恐ろしいような気配が追いかけてくるような気ががする。




 みぃ。




道案内の毛玉もとい子猫はさっきよりもずっと前に居る。急がねば。




「痛っ———————!!」

痛い!いきなり何なのだ!私は怪我などしてはいないのに!




子猫が行ってしまう!
もっと走れ、早く!
動け、足!!
痛みにかまってなんか、いられないんだ!





私は何故だか、とても必死だった。

どうしてだろう。

どうしてなのだろう。

どうして必死なのだろう。

なんとなく、ここで歩みを止めては、いけないと思った。
とても、とても急がないと…何か大切なものを失ってしまうと、思った。




————————————!!!




ふと、何かが聞こえた。誰の声だろう。ききおぼえのある、懐かしい声。私を呼んだように感じたが。








私は走り続ける。

痛みは増し続ける。

それでも私は走り続ける。










だいぶ、子猫に近づいた、かな?

もう、体中が痛い。気を抜いたら、このまま全身バラバラになって壊れてしまいそうだ。
そうできたなら、どんなに楽だろうか。


ふと、一瞬後ろを見る。
すると、すぐ後ろに扉があった。



「………!!」


扉はさっきと違い、開いていた。その中から手を、体を、伸ばしてくる亡者の群れ!
召還術なんて比じゃない。
そもそも術程度など比較に値あしないぞ!
アンデッドの召還を鼻で笑った事もあったが、あれは術者の腕が悪かったからだ!
…もう少し、私に余裕があれば、何らかの魔法でおさえるのだが……!



亡者の手が伸びてくる。あれに捕まったら、とりあえず一巻の終わりだ!
亡者がこんなに恐ろしいと思ったのは250年くらい前にヴィルヘルムの召還実験に付き合わされて、大失敗した時以来だ!!

と…とりあえず走れ、私!








初めて扉を見た時は、何か、惹かれるものがあった。

が、

今、背後にある扉はとても恐ろしかった。追いかけてくる亡者の分を差し引いてなおも。同じ扉なのに。
胸が恐怖で一杯になってくる。気持ち悪い。吐きそうだ。


体ももう限界を訴えている。筋肉がイカレていないのが、不思議というか、なんというか。
あぁ、えぐられたような深い傷までいつのまにかついているし、そういえば血まみれだ。どーりで痛い訳だ。
その血まみれの腕で、先頭切ってからみついてくる亡者を払いのける。



…もっとスピードをあげないと、他の亡者共が追いついてくる。
逃げないと。逃げ切らないと!







みぃ。


子猫がいるのは、たぶん、目測20メートル位向こうだ。
何処からか伸びて目の前を横切り、また何処かへと遮るように伸びている白い線の手前側。




ひょっとすると、ラストスパートなのかもしれない。
私は残っている力を振り絞って走った。
体は軋み、あちこちから血を噴き出している。なんだか久々に血の味までする。あーもう、味わう余裕もない!



いきなりむせる。もう息なんて止めてやる。あと15メートル!


亡者の手が肩を掴む。かまってられるかあと10メートル!


さらに亡者が絡みついてくる!けっこう、強い、力だ。勢いで無理矢理進む、あと5メートル!


亡者に引っかかってバランスを崩し、スッ転ぶ。勢いがついているので、前に放られる。あと2メートル。倒れた私に亡者どもが群がる。


重い、苦しい、痛い、あと少しなのに。
這って進む。亡者が私の体に牙を立てているのを感じる。




あぁ も う   駄目  だ 。


そう思った矢先、体が軽くなった。
これはチャンス!と体に鞭打って進む。







ついに白い線を超えた!
視界が真白くなっていく。
私は逃げ切ったのだ!



                      「 少し は   役 に   たて た かな ?  」



あぁ、白い。
もう何も、見えないし、聞こえない。


私は、私は逃げ切った!成し遂げた!
私の体は静かに沈んでゆく。